大判例

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東京地方裁判所 昭和40年(刑特わ)883号 判決 1967年3月15日

主文

被告人永田恒治および被告人山口平継をそれぞれ罰金一五、〇〇〇円に処する。

被告人らにおいて、右罰金を完納することができないときは、いずれも、金六〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人らの連帯負担とする。

理由

(被告人らの経歴と罪となるべき事実)

被告人永田恒治は、昭和三六年三月東京大学法学部を卒業し、同年五月日本社会主義青年同盟(以下「社青同」と略称する。)に加盟し、昭和四〇年一〇月当時は、社青同中央本部副執行委員長をするかたわら、原潜寄港阻止、日韓条約粉砕全国実行委員会事務局次長の職をも兼ねていたものであり、

被告人山口平継は、昭和三五年一〇月社青同に加盟し、昭和四〇年一〇月当時は、社青同中央本部書記の地位についていたものであるが、

被告人両名は、昭和四〇年一〇月一二日午後六時半ころから同日午後一〇時三五分ころまでの間、東京都新宿区霞ケ丘一番地の明治公園において開催された右全国実行委員会主催の「日韓条約粉砕・ベトナム侵略反対・浅沼追悼中央集会」ならびにその集会終了後に行なわれたつぎの集団示威行進、請願集団行進に、社青同員約三〇〇名とともに参加したが、右各行進については、右全国実行委員会事務局長大柴滋夫名義をもつて、同年一〇月一一日付で、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例第三条第一項に基づく、別紙記載の条件を付した許可を受けていたものであるところ、右社青同員らは、五、六列位の縦隊形で、同日午後七時五〇分ころ、右集会場を出発したが、つぎの道路上において、

集団示威行進に際し、

(一)  右集会場を出た直後から、港区神宮外苑権田原口交差点付近にいたるまでの間、ことさらな駆け足行進をし(別紙記載の三の2の条件に違反)、

(二)  右交差点をわたり、同所から、港区青山一丁目交差点を経て、同区新坂町所在の山王病院前付近にいたるまでの間、ことさらな駆け足およびだ行進をし(別紙記載の三の2の条件に違反)、

(三)  山王病院前付近から、港区赤坂警察署乃木坂派出所前付近にいたるまでの間、車道幅員の約八割を占めるフランス・デモを行ない(別紙記載の三の2の条件に違反)、

(四)  右乃木坂派出所前付近から、乃木坂を経て、赤坂警察署新町五丁目派出所前付近にいたるや、先頭隊列員は旗ざおを横に倒してそれをつかみ、同所から同区山王下交差点に向かい、約一五〇メートルの間、駆け足だ行進をつづけ(別紙記載の三の2の条件に違反)、

(五)  右(四)につづいて、フランス・デモにうつり、これを山王下交差点出口付近まで行ない(別紙記載の三の2の条件に違反)、

(六)  右山王下交差点出口付近から、千代田区口枝神社前付近にいたるまでの間、右(四)と同様に先頭隊列員は旗ざおを横に倒してそれをつかみ、大きなだ行進をし(別紙記載の三の2の条件に違反)、

ついで、請願集団行進にうつり、

(七)  日枝神社前付近から、千代田区麹町警察署永田町派出所前永田小学校裏付近を経て、同区参議院議員面会所前付近にいたるや、同日午後九時五五分ころから同日午後一〇時三五分ころまでの間、右議員面会所前車道上にすわり込み、「日韓条約粉砕。」、「原潜寄港阻止。」等のシュプレヒコールをし(別紙記載の五の4、六の2の条件に違反)、

た。その際、

被告人両名は、共謀のうえ、

一、被告人永田においては、終始、社青同の総括的な指揮者として、その隊列の先頭列左側付近に位置するなどして、右(一)ないし(六)の間、電気メガホンで、「日韓条約粉砕。」、「ベトナム侵略反対。」などとかけ声をかけ、また、横に倒した旗ざおに手をかけて右(四)の駆け足だ行進を誘導し、さらに、両手を二、三回上下してすわり込みを指示し、右(七)のすわり込みをさせたうえ、電気メガホンで、「日韓条約粉砕。」、「原潜寄港阻止。」等のシュプレヒコールの指揮をとるなどとして、前記許可条件に違反した集団行進等の指導をし、

二、被告人山口においては、被告人永田のもとに、社青同の行動指揮者として、終始、その先頭列外あるいは先頭左横付近に位置するなどして、右手を上にあげて前後に振り右(一)、(二)の駆け足をあおり、また、両手を上から両横に広げるなどして右(三)のフランス・デモを行なわせ、横に倒した旗ざおに手をかけて右(四)、(六)のだ行進を誘導し、さらに、両手を上下に振つてすわり込みを指示し、右(七)のすわり込みをさせるなどして、前記許可条件に違反した集団行進等の指導をし

たものである。

(証拠の標目)<略>

(被告人および弁護人らの主張)

被告人および弁護人らは、つぎのとおり主張する。

(一)  被告人らに対する本件公訴の提起は、被告人両名が、憲法の理念とする平和と民主主義擁護の立場から、政府権力のおしすすめている三矢作戦計画、自衛隊の核武装、海外派兵、徴兵制の計画、原潜寄港、ベトナム戦争の協力等にみられるように、軍国主義的政治支配体制復活の陰謀に基づく民主主義の破壊に対し、これに反対する正当な国民集団運動をおこしたのに対し、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下都条例と略称する。)違反にしやつ口してした政府権力の不当な弾圧のあらわれである。

(二)  昭和三五年七月二〇日の最高裁判所大法廷の判決は、都条例は憲法に違反するものではない、としているが、この判例は、下級審の裁判所に対し一般的拘束力をもつものではないから、ここに、重ねて、都条例は、憲法第二一条に保障する国民の集会、表現の自由を侵害する違憲無効のものであることを強調する。

(三)  都条例は、その機能と運用の実態面において、つぎのような憲法第二一条違反の各点があり、ひいてはそれが都条例自体を違憲無効ならしめるものである。すなわち、

(1)  都条例によると、集団行動に関する許否の決定や許可の際の条件付加等の事務は、すべて東京都公安委員会が行なうことになつているところ、その実態は、右条例の定めに反し、国民に明らかにされていない公安委員会規程や、警視総監通達等に基づき、警視庁警備部警備課第三係がこれら事務のすべてを取り扱つている。そのため、右第三係員は、許可申請書を受理するまえに、集団行動に対する事前規制と称して、その責任者、参加予定団体、目的、行進コース等その細部にわたり、集団行動の目的とその効果を減殺するためにするしつような追及を行ない、しかも、その指示に従わぬ限り、許可申請書自体の受理をも拒否しているのであつて、これら権限の代行と干渉が、実質的には不許可処分をしたのと同じ効果を招来し、集団行動の自由と権利を不当に弾圧侵害するものであることは明らかである。

(2)  つぎに、許可するにあたつて付される条件は、必要最少限度にとどめるべきであるのに、申請人の意思を無視して、一方的に設定したおびただしい数の条件をおしつけ、しかも、その個々の内容は、表現の自由と権利を不当に侵害するものであり、これら条件の設定付加によつて、実質的には、事実上集団行動を部分的に禁止したと同じ効果をねらい、かつ、あげようとしているものである。それは、他面において、条件違反にしやつ口して、実力規制による弾圧を企図した違法、違憲のものである。

(3)  しかも、集団行動を実力規制するにあたつては、元来警察官職務執行法(以下警職法と略称する。)第五条、第七条等のきびしい制限に従わなければならないのに、デモ隊を、「潜在的暴徒論」の立場から暴徒の集まりであると見て、都条例第四条の「違反行為を是正するにつき必要な限度において所要の措置をとる。」ことができるとの規定にしやつ口し、かつ、右のようなおびただしい数の条件に違反するとの口実のもとに、警職法の右規定をこえた暴力的な実力規制が横行している。すなわち、本件集団行動に際しても、明治公園の集会場出口付近においては、各てい団を寸断するため強い実力規制をかけてことさら混乱におとし入れ、日枝神社前路上においては、装甲車四台を二列に配置してその内側に乱闘服に身をかためた機動隊員が立ちならび、やつと二人位しか通行できないような鉄壁の障壁をつくつて通行を妨害したのみか、その両側から通行者をなぐる、ける、押す等の暴行を加えて、多数の負傷者を生ぜしめ、また、首相官邸付近においては、突如として、乱闘服の機動隊がデモ隊に襲いかかり、路上に投げとばしたり、石垣に押しつけるなどして、負傷者をだすなどの違法な規制を加えたものである。

(四)  被告人らの行動は、憲法上の基本的権利である集団行動の権利に基づき、その目的、動機において正当であり、かつ、手段方法において相当であるうえに、そのような行動に出ざるをえなかつた必要性と緊急性があつたものである。

(右主張に対する判断)

前記(一)の主張について

弁護人らが、平和と民主主義の破壊であるとしてあげた三矢作戦計画その他の事例についての政府の態度につき、国民の間に批判的な意見と、政府の態度を是認する意見が存することは公知の事実に属し、このように意見の分かれる原因がどこにあるかは別として、民主主義社会においては、いずれの意見もひとしく尊重せられるべき価値を有するものというべきである。もとより、政府の態度をもつて、平和と民主主義を破壊するものと考えること自体は国民各自の自由であり、政府に反対するための集団行動をとることも、それが平穏、相当である限り、憲法が国民の権利として保障しているところであるが、自己の主張のみがひとり正当であるとして、これを口実に、法秩序を無視し、他の法益を侵害するがごとき行動をとることは、法の支配を基調とする憲法のもとにおいて許されないところである。ところで、被告人らの各所為は、前記認定判示したとおりであつて、それが被告人および弁護人ら主張の目的、動機から出たものであるとしても、検察官が、右判示事実関係のもとに本件公訴を提起したことをもつて直ちに所論のように政府権力の弾圧であるとすることはできないし、もちろん違法、違憲であるとはえないから、右主張は採用することができない。

前記(二)の主張について

都条例が憲法第二一条に違反しないことは、弁護人ら主張の最高裁判所大法廷の判決においてすでに明らかにされたところであり、特定の事件についてされた右判決が、その事件を離れて、一般的に、下級審裁判所を拘束すると解すべき法律上の根拠もないことは、弁護人ら主張のとおりであるが、しかし、現行裁判制度が最高裁判所を頂点とする審級制度を採用していること、また、かかる制度によつて、法的安定性の確保がはかられていることなどから、当該問題について最高裁判所の解釈がくだされた以上、下級審裁判所としては、その判断を尊重すべきものと考えるから、当裁判所も、最高裁判所の右判断に従うこととする。したがつて、都条例が違憲無効であるとする右主張は、採用しない。

前記(三)の(1)の主張について

証人山田英雄の当公判廷における供述、東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程(抜抄。昭和三一年一〇月二五日都公委規程第四号)、東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程(抜抄。昭和三一年一〇月二五日訓令甲第一九号)、「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例の取扱いについて」と題する昭和三五年一月八日付東京都公安委員会決定(写)、「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例の取扱いについて」と題する昭和三五年一月二八日付警視総監通達甲(備備三)第一号(写)を総合すると、東京都公安委員会は、集会、集団行進および集団示威運動の許否に関する事務のうち、重要特異な事項として、集団行動に対する不許可処分、許可の取消処分、許可条件の変更処分、申請にかかる集団行動の日時、場所、行進コースの変更をともなう許可処分、メーデーなどの大規模な集団示威運動は、必ず自らの手でこれを処理しているが、右以外の集団行動についての許可処分および許可の際の条件付加処分は、事務の迅速かつ能率的な運営をはかるため、軽易な集会の許可処分を警察署長に、その他はすべて警視庁警備部長をして、公安委員会名義でその事務処理を代行させ、その結果を、毎月とりまとめて報告させたうえ、その事後審査を行なつていることが認められる。

そこで、警察法第三八条第三項、第四四条、第四五条に徴すると、東京都公安委員会が、内部規程を定めて、その権限に属する事務の一部を、自己の責任において、警視総監以下の警察官に処理させることは、そのの事務を公安委員会の権限にゆだねている趣旨に反しない限り、これを許容してさしつかえないものというべく、しかして都条例が集団行動の許可申請については、許可を原則とするたてまえをとつており、許可申請書が提出されてから許可書を申請者に交付するまでには、通常、あまり時間的余裕がなく(都条例第二条、第三条第二項参照)、しかも公安委員会は日常極めて多数の許可事務を処理しなければならないこと(前記山田英雄証言)等にてらすと、公安委員会が事務の迅速かつ能率的な運営をはかるため、前記のように重要特異でない比較的定例軽易なものについて、不利益処分でないところの許可処分を、また、かかる許可の際に、定型的に類型化された条件を付加する処分(証人渕上保美、同山田英雄の当公判廷における各供述、前記警視総監通達等参照)を右警察官に処理させることにしても、許可、不許可の権限を東京都公安委員会にゆだねた都条例の精神に反するものとは認められないし、かかる運用が違法、違憲であるとすることもできない。そして、この種の内部的委任については、その内容、取扱方法等を告示その他の方法で部外に周知徹底させる必要はないものというべく、したがつて、その事務取扱いの根拠となつている前記各規程および下級機関のため事務処理の指針を示したいわゆる内規、通達等にすぎない前記委員会決定、警視総監通達等が部外秘にされているからといつて、また、それに基づく都条例の運用をしたからといつて、違法、違憲があるとすることはできない。

弁護人らは、許可申請にあたり、警備課第三係の不当な干渉、条件の一方的な付与等実質的には不許可処分と同様の効果をねらつている、というが、不許可処分それ自体は東京都公安委員会の専権に属していること前記認定したとおりである。そこで、証人渕上保美、同山田英雄の当公判廷における各供述、前記証拠として挙示した許可申請書および許可書を総合すると、主催者である全国実行委員会事務局次長渕上保美は、本件集団行動の許可申請をするにあたり、その集会場所、行進コース等がはじめてであつたため、事前の昭和四〇年一〇月五日ころ、右警備課第三係を訪れ、茂上係長ほか数名の警察官同席のもとに、本件集団行動の開催日時、場所、参加予定者数、行進コース等について希望を述べ、警備課の意向を尋ねたこと、その際、渕上は、明治公園を出発し国会請願をして日比谷公園まで行くコースとして、青山四丁目、同一丁目、平河町、国会裏側を通行させてもらいたい旨の希望を述べたところ、茂上係長らより、そのコースは交通上問題があるとして、判示認定のコースのほか二、三の別のコースを示されたので、一応帰つてみんなと相談することにし、そのの後二、三度電話連絡などをしたうえ、認定判示のコースを通行することにして、同月八日ころ、その旨の許申請書を提出し、その申請どおりに許可になつたこと、一般的に許可申請にあたつては、警備課備付の用紙を使用しなくとも、形式的要件が具備されている限り、申請書は受理されることが認められる。しかして、右第三係員らの示唆ないしは勧告が妥当であるかどうかは別問題として、強制、威圧にわたらない限り、あながちこれを違法、違憲視すべきものではなく、要は、右勧告等に応じないで、当初の希望どおりの内容の許可申請書を提出する自由と、それが受理される保障があればよいのであり、右渕上証言をもつてしても、右第三係員から、許可申請書の提出にあたり、集団行動の目的と効果を減殺する意図をもつて、不当に強制、威圧を加え、無理に行進コースその他を変更させて許可申請をさせた事実はなかつたことが認められるし、当初の企画どおりの内容の許可申請書を提出したとしても、その受理を拒絶されとという形跡は認められないばかりか、一般的に、警察当局よりの、不許可処分と同じような実質的効果をあげようとして申請内容の変更を強要するとか、あるいは、適式な申請書の受理を拒否することが行なわれているものと認めることもできない。

したがつて、前記(三)の(1)の主張は、採用できない。

前記(三)の(2)の主張について

内部的委任に基づく許可の際の条件付加が直ちに違憲であるといえないことは前記のとおりであるが、その条件が、事前に、申請人らの了解ないしは同意を得ていないものであるとしても、元来、都条例第三条は、条件を付するにあたつて、右了解ないし同意のあることを要件としていないばかりか、むしろ一方的に付することを予想しているから、付された条件が、個別的にみて、憲法上保障された表現の自由を不当に侵害するときはかくべつ、そうでない限り、一方的に付されたことのみを理由として、右条件を無効とすべきいわれはない。ところで、本件集団行動の許可に際し付された条件は、別紙記載のとおりであり、これを個々的にみれば、その必要性、妥当性が疑わしいものもないわけではないが、さればといつて、それらの条件があることによつて、また、条件が多いからといつて、そのことから、別紙記載の条件全部を無効にするほどの違法、違憲性は認められないし、また、それらの条件が、ことさらに、集団行動を部分的に禁止するとか、あるいは、実力規制の意図のもとに付加されたものであるとも認められない。

そこで、以下本件で問題となるのは、つぎの各条件であるから、そのの当否を判断することとし、それ以外の条件は、本件事案の判断上特に考察する必要を認めない。

(イ)、別紙記載の三、六の各1の「行進隊形は五列縦隊とすること。」。

(ロ)、同じく三の2の「だ行進、ことさらなかけ足行進、フランス・デモ等交進秩序をみだす行為をしないこと。」。

(ハ)、同じく五の4の「かけ声、シュプレヒコール等、示威にわたる言動は行なわないこと。」。

(ニ)、同じく六の2の「ことさらなすわり込み等、交通秩序をみだす行為をしないこと。」。

まず、右(イ)の条件は、本件集団示威運動および集団行進(国会請願)のコースが東京都の中心部であつて、当時の都内の道路交通事情にかんがみれば、公共の福祉との調和をはかるために科せられた必要最少限度の合理的な制約である(しかしながら、本件においては、各証拠を検討するも、社青同の隊列が、右条件をこえる六列以上の縦隊であつたとする事実は、必ずしも明らかでないから、この点に関する検察官の主張は採用しない。)。

右(ロ)、(ニ)の各条件は、ともに、本来平穏に秋序を重んじてなされるべき右各行進において、当然守らなければならない事項であつて、右道路交通事情をあわせ考えると、なおさら、その遵守が強く要請されるものである。

つぎに、右(ハ)の条件は、示威を目的としない集団行進(国会請願)に関するものとしては、それが平穏に、かつ、秩序をたもつて行なわせるようにするため、「秩序保持に関する事項」として、示威を表明する目的をもつてするシュプレヒコール等を制限することは、必ずしも許されないわけではない。

結局、右各条件は、いずれも、憲法上保障された表現の自由を不当に侵害する違法のものということはできない。したがつて、弁護人らの主張は、採用できない。

前記(三)の(3)の主張について

<証拠>を総合すると、本件集団行動の集会場である明治公園は、はじめての使用であつたのと、一〇万人ちかい参加者があつたことなどから、右会場およびその出口付近は混乱したこと、行進コースにあたる日枝神社前路上においては、警官隊等が、装甲車ようの自動車約四台をその道路両端に配置して、その内側に機動隊員が立ちならび、わずかに二、三人が横にならんで通行できるくらいに道幅をせばめたため、それまで五、六列位の縦隊が行進して来た参加各団隊の通行が阻害され、そのため、その手前にあたる山王下電停付近の道路は非常な混乱におちいつたこと、右車の内側にならんでいた機隊員らは、そのなかを通行するデモ隊員に対し、押す、なぐる、ける等の乱暴を加え、数人の負傷者を出したこと、また、同じく首相官邸付近の路上においては、行進していた社青同の隊員に対し、機動隊員が、突如、襲いかかり、突きとばしたり、押しのけたりする乱暴を加え、ここでも、数人の負傷者を出すにいたつたことがうかがわれ、警察官らの行動に行き過ぎがあつたことを疑わせるものである。本来、犯罪の予防制止、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持にあたるべき責務を有する警察官が、いやしくも、右のような行き過ぎた行為に出たと疑わせるがごときことは、まことに遺憾であるといわなければならない。しかしながら、被告人らの判示各所為が、警察官の右行き過ぎた行為によつて影響ないしは誘発されたものであることは認められないから、かりに、右行き過ぎ行為があるからといつて、被告人らの判示各所為を正当ならしめるものではない。もつとも、被告人らは、明治公園の集会場出口付近から権田原口交差点付近まで駆け足をしたのは、右出口付近において、警察官に強い規制をかけられたため、行進順序がみだされ、先行隊たる社会党東京都本部の隊列に追いつくために、やむを得なかつた処置である、と主張し、集会場出口付近が混乱していたであろうことは前記のとおりである。

しかし、<証拠>を総合すると、他の参加団体は、社会党東京都本部の隊列に引き続いて集会場を出発していること、社青同の隊列は、警察官の右規制があつたかどうかに関係なく、自ら示威のために、駆け足行進をしたものであることが認められるから、右主張は採用しがたい。

したがつて、前記(三)の(3)の主張は、理由がない。

前記(四)の主張について

被告人らが、日韓条約の批准、ベトナム戦争遂行中の米国に対する政府の協力等は違憲であると信じ、それに反対することが憲法体制を維持回復するゆえんであると考え、そのような動機、目的から認定判示した行進等の指導行為をしたものであることは証拠上認めることができる(その反対の立場に立つ見解のあることも前記説明のとおりである。)。しかし、その目的、動機が正当であり、その意思を表示する方法として、本件集団行動が適切、有効なものであつたとしても、それのみによつて、被告人らの判示各所為が正当化されるいわれはなく、それが平穏かつ秩序正しく行なわれてこそ正当な行為であるというべきところ、許可条件違反の集団行動は表現の自由の正当な範囲を逸脱するものであつて、本件集団行動は許可条件違反のそれにあたること判示認定したとおりであり、かつ、被告人らのその指導行為は、その形態、影響などにてらして相当性を欠き、被告人らの意思を表明するためにやむをえなかつた行動であるとも認められない。また、被告人らの右意思を早急に表示することが必要にして、かつ、効果的であつたことは所論のとおりであるとしても、当時の社会事情等からおして、許可条件を無視し、これに違反することとなる形態での本件集団行動が行なわれなければならないほどの必要性、緊急性はなかつたものと考えられる。

したがつて、前記(四)の主張は、採用しない。

(法令の適用) <省略>

よつて、主文のとおり判決する。(真野英一 金子仙太郎 堀内信明)

(別紙) <省略>

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